ヤン・ウェンリーという虚構と誤解

 自由惑星同盟将官不敗の魔術師として名をはせ、同盟滅亡後は共和制の守護者として戦い続け、最後は反動勢力の暗殺によりその生涯を終えたヤン・ウェンリー

 こうして紹介すると大変優れた人物との印象を受ける彼ですが、虚構を排した人物伝がもし刊行されれば、大勢の人を失望させること間違いありません。

 基本的に怠け者で勤勉という言葉をポケットに持ち合わせていなかったヤンは、家では寝転び一日を過し、仕事場である旗艦の艦橋では指揮卓の上に座るという、見栄えの悪さで同盟随一でした。有給休暇は全て消化して国家的式典は極力さぼろうとする上に、式典のスピーチは2秒で終えるので人物伝の筆者が頭を抱えること間違いありません。

 また自分の武勲(業績)に興味無く、授与された勲章(栄誉)をさっさと引き出しに放り込み、政軍財のどことも関係(人脈)を広げようとしない態度は、社会人としてかなりの問題ある行動です。そもそも職業軍人である以上は軍隊という道具と戦争という手段に価値を持つはずなのに、彼は全く価値を感じないどころか志願する人の精神を疑うほどです。

 なお一部の人にのみ知られている「敵の戦艦一隻が年金幾らになるか」「信念のために戦争するより、金のために戦争するほうがまし」などは彼を崇拝する人々には無視されてしかるべき暴言です。

 そんな人物が民主主義を本当に価値あるものと信じてそのために命がけで戦う。この一点により、「共和制の守護者」として英雄となり伝説になったのです。つまり勝手に作られた虚構と勝手に思われた誤解の上に世間のイメージが成り立っている男、それがヤン・ウェンリーなのです。

 権力欲も金銭欲も出世欲も無くて栄誉も名声も興味を持たない、実際は単にそれらを保持するのが面倒くさいだけという性格で、それでも与えられた役割は渋々やって最大限以上の成果を出す。こんなキャラクターは縮小再生産された亜流ならいますが、ここまで徹底されたのはヤン・ウェンリーのみでしょう。

 当時はヤンを理想の夫と呼んだ女性ファンもいたそうですが、今ならどうでしょうか。あ、でも妻のすることに文句を付けない稼ぎのいい男としては。うーん、それは夫ではなくATMというのでやっぱり洗い物と買い物ぐらいはしなきゃダメかもしれません。