お祭りヤン・ファミリーの構成員(真面目な組)

ヤン艦隊の特色として地味に上げられるのが、絶妙な幹部の人事です。

艦隊副司令官 エドウィン・フィッシャー

首席幕僚・参謀長 ムライ

次席幕僚・副参謀長 フョードル・パトリチェフ

第13艦隊創設時から回廊の戦いまでこの布陣は変らず、ヤンを支え続けて奇跡の勝利に貢献した人材です。

 

フィッシャー提督は艦隊の航行と艦隊運動においてヤンから全幅の信頼を得ており、一方で寡黙で職務を黙々とこなす人柄です。発言は少なく目立ちませんでしたが、勝利への貢献度は高く、特に戦闘中の陣形変更や艦隊再編などヤンの常識外の命令を完璧に遂行してみせた手腕は「名人」の称号に相応しいです。

最高の名人芸はバーミリオン会戦で見せた縦列陣形で高速移動中に、敵の横撃を受けてからの変形凹形陣でしょう。神業としか言いようがありません。もし生き残って本当に本を出していれば、艦隊運用の教本として帝国の提督達に愛読されたかもしれません。

ムライ中将もまた逸材です。年下の変わり者の上官や一癖も二癖もある同僚、問題児達を相手に軍組織を保ち、百万人規模の艦隊の維持管理に努め、組織内で自身の役割を把握してそれに努めるなど並みの能力ではありません。

特に司令官が組織運営に向かないタイプのため、戦闘以外の補給・人事・整備・綱紀等は全てムライが管理・指揮していたと考えられます。(キャゼルヌは要塞事務監でイゼルローン要塞の行政担当です)

その下にいたパトリチェフも当然ながら有能です。第二・第四・第六・第十と複数の旧艦隊の集合体であるヤン艦隊は、各艦隊の気風を受け継いだ幕僚達が合流しています。そんな彼らを取り持ったのが、誠実・温和でかつ叱咤激励役として存在するパトリチェフであったろうと想像できます。

また艦隊運営においても滞らせたこともなく、組織人としても普通に有能であったのはヤンが戦術立案と作戦指揮に集中できたことからも明白です。ムライを助けて常に艦隊が最高の状態になるように維持していたことでしょう。

 

なお、ヤンの恐るべき影響力または精神汚染力に長時間晒された彼らは、紛れもなくお祭りヤンファミリーを構成する一員であり、激戦に次ぐ激戦でも体調を崩すことなく戦い抜いた精神面でもタフな軍人でした。