新銀河帝国将帥列伝が某ペテン師の被害者リストになる件について

 ヤン・ウェンリーと言えば「魔術師」や「奇跡」の他に「ペテン師」の二つ名を敵からつけられておりました。実際に一人で帝国の提督達を手玉に取りまくった彼のペテンリストは、おそらく共和主義者達の地下文書となって駆け巡っていることでしょう。

 簡単に書くと、

 ラインハルト

 バーミリオン会戦 旗艦を砲撃される寸前で停戦

 回廊の戦い 攻略しきれずに停戦

ケンプ

 第八次イゼルローン攻防戦 ガイエスブルク要塞と共に戦死

ルッツ

 第十次イゼルローン攻防戦 策略を利用されて要塞を奪われる

シュタインメッツ

 ライガール・トリプラ両星域間の会戦 半包囲とBHで艦隊の九割を失い敗走

 回廊の戦い 総旗艦の援護に成功するが、ヤン本隊の集中砲火で旗艦と共に戦死

レンネンカンプ

 第九次イゼルローン攻防戦 輸送艦を利用した策略で敗退

 ライガール・トリプラ両星域間の会戦 ヤン艦隊の動きに惑わされ敗退

ワーレン

 タッシリ星域の会戦 輸送コンテナを利用した策略で敗退

メックリンガー

 回廊の戦い 心理的陥穽に陥り後退

ビッテンフェルト

 アムリッツア会戦 攻撃方法の転換の隙をつかれ敗北

 回廊の戦い 戦いを誘導され強行策が失敗し敗北

ミュラー

 第八次イゼルローン攻防戦 要塞と敵艦隊の連携に敗退 敵援軍に敗北

 バーミリオン会戦 援軍として傘下するも集中砲火を浴びて援護失敗

ファーレンハイト

 回廊の戦い 友軍の危機に支援攻勢にでるも敗退、旗艦と共に戦死

 などなど早々たる面子が被害者リストに並びますね。

 リストにはミッターマイヤーとロイエンタールが抜けておりますが、それぞれアムリッツア会戦と第九次イゼルローン攻防戦で痛手を受けておりますし、回廊の戦いでは全軍を纏める立場としてヤン艦隊を攻略できませんでした。

 こうなるとヤンの部下達が調子に乗って「負け続けたのに昇進する奇跡の人」とか「完敗したくせにお情けで助けてもらったくせに」とか挑発とはいえ、通信を送るのも仕方がないかもしれません。

 ヤン本人は部下のように高揚もせず戦闘後に「未亡人と孤児を大量に生み出した」と気落ちするので、こんなリストは自慢にもならないと思うでしょうが。

 

 ちなみにヤンはラインハルトと戦う前に元帥になりますが、この武勲なら大元帥かヤン専用の勲章でも作らないと間に合わないですね。

 まあ与えるはずの同盟が途中で消滅ですし、その前にヤンが退役するのでそんな心配は不要となりますが。

 

 戦争の価値を認めない男の勝利の記録とは、最高に皮肉なリストです。

「謀略には謀略を」血で塗られた黒狐の記録

 アムリッツアの大敗で帝国と同盟の経済・軍事バランスが崩れた結果、フェザーンの黒狐はフェザーンの真の支配者である地球教徒の大主教に向かって、「戦争による社会不安から宗教を広める」から「統一国家を出現させその中枢を感化させて丸ごと乗っ取る」方針転換を提案して認められました。

 これは表向きは(裏の活動ですが)地球教による効率的な人類社会の乗っ取り、その裏ではルビンスキーが人類社会を手に入れるため地球教すら利用する策でしたが、肝心なところでのボルテックの裏切りもあり帝国側の速攻で表の権力基盤であるフェザーンを奪われます。

 むろん諦めずに地下に潜ったルビンスキーは策謀を駆使して帝国を翻弄します。それも結末は足を引っ張った程度ですが。

 ルビンスキーも相手がオーベルシュタインとケスラーでなければ、勝者になれた可能性があったと思います。あと一歩までいった数度の暗殺未遂事件やロイエンタールの反乱、シルヴァーベルヒ暗殺事件などがありますたから。しかし基本的に軍務省と憲兵隊に隙が無く、賄賂で買収可能な旧帝国の軍官僚なら使えた策が効かない点は、陰謀家の彼には不利でした。

 もしルビンスキーに別の発想があったなら。

 ボルテックは死に追いやらず情報収集や工作の窓口して利用、ロイエンタールも新領土の総督として更に権威を高めさせ万全の態勢で反乱に導き、ラングはロイエンタールへの敵愾心を利用しても、あくまで操りやすい駒として使う。

 反帝国勢力へも支援、イゼルローン共和国ならば妥協的協調で関係を結び、その報酬として地球教徒の情報を提供する。

 つまり流血はあっても最小限に、基本は殺さない方針でいたら反帝国勢力のフィクサーとして活動できたかもしれません。

 これも本人が他人を一方的に利用することに何の呵責もないので、選択肢としては無いかもしれませんが。

 彼の操る糸で代表的なところではケッセルリンク、デグスビイ、ボルテック、ロイエンタール、ラングらが死にましたし、間接的にケンプ、グエン、ヤン他大勢の死にも責任の一端があります。

 歴史にifは無く、そしてこの作品にifが無い以上はルビンスキーは悪役として名を残すしかありません。それでも策謀だけで帝国と同盟を揺るがした男には、別の道もあったのではと思うしだいです。

戦いは始める前に勝利を決定するのが正しい

 キルヒアイスと言えば常勝無敗で横死した悲劇の英雄で、欠点も無い完璧人でした。無論、彼の忠誠はラインハルトとアンネローゼだけに向けられており、万人に優しいわけではありませんでした。

 そんな彼ですが、あまりにも若くして死んだため、本当に有能だったのかとの声がたまにあります。

 カストロプ反乱をはじめ単独での武勲も重ね、リップシュタット戦役でも別動隊として勝利を重ねてラインハルト陣営に貢献しております。ただ苦戦が無く完勝が多いため、逆に勝てる勝負に勝っているだけとの声に繋がっているのでしょう。

 勝ち易きに勝つ、は玄人には有能だからと理解できても、素人には当たり前に見えてしまうのかもしれないので、戦歴を振りかえってみます。

 

カストロプ反乱

 敵の本拠地を先に攻略すると見せかけて敵の移動を誘い、移動中の敵を強襲する。

→マリーンドルフ領への救援と敵の殲滅を最短で行うための良策。

 

同盟帝国領侵攻作戦

 敵の補給部隊を敵の前線を抜けて占領エリア内で強襲する。

→中に入り込めば入り込むほどイゼルローン回廊からのルートが限られるため、待ち伏せしやすい。一方で敵の占領地域の奥深く侵入するため、敵の包囲を受ける可能性があり配下の艦隊全戦力で対応するのは最善。

 

同盟軍第十三艦隊との遭遇戦

 戦力差があるため艦隊をローテーションで堅実に運用、波状攻撃をかけて第十三艦隊を消耗させる。

→すでに同盟軍第七艦隊を撃破しており、補給部隊強襲からの三連戦のため兵の疲労も考慮、強敵と理解している相手に慎重な采配は次善の策として有効。

 

リップシュタット戦役

 キフォイザー星域の会戦までに大小六十戦で完勝、同会戦では五万の敵に二個艦隊及び直属の艦隊であたり、敵を壊滅させる。

→敵が艦隊編成もろくにできていないとはいえ五万の大軍、被害を最小限にするため自身での突入・攪乱攻撃を選択、結果は完勝です。これに味をしめて少数艦隊での切込などリスクの高い作戦を考えず、あくまでこの会戦のみ使用したのは良将の証拠。

 

 それぞれの戦闘で考えうる最良の手を打つ名将に相応しい対応です。アムリッツア会戦やガイエスブルク要塞攻略戦では重要な役割を完璧にこなしておりますが、これも素人から見ると『敵が弱かった』というラインハルトを非難する貴族と同じ回答になるのかもしれません。その門閥貴族達の命運がどのようになったかは広く知られているところですね。

 キルヒアイスが生きていればヤン自身が考えている通り、ラグナロックでの勝率はコンマゼロ以下だったでしょう。そしてキルヒアイスとヤンの対決は、どちらかの戦歴に傷がつきます。それとも引き分けとなり、やはりヤンとラインハルトの決戦になるか。それは結局判らず終いですが。

戦争以外役に立たない男

 政治家としても有能なラインハルトとは違い、ヤンは戦争以外は役に立たないのではと言われてます。やんわり「首から上だけ必要」と表現されたりしますが、逆に言えば戦場なら有能過ぎるの男です。

 これはムライ参謀長がユリアンフェザーン駐在武官として赴く時に激励の言葉の中にあります。

指揮官としての資質と参謀としての才能と、両方を兼備する珍しい人だ。」

 つまり指揮官としての戦術眼や指導力・決断力と参謀としての分析力・計算力が合わさったハイブリットです。

 参謀型というのは周知の事実で、アスターテでは敵の中央突破に対して艦隊を二分、分断前進後に背面展開する計画を、事前にかつ短時間で立案しています。第二艦隊はヤンの指示通りに動いたとあるので、かなり緻密な陣形再編の計画を立てたと推測されます。通常航行中の陣形再編ではなく、戦闘中の混乱の中での艦隊機動のため、最低限として分艦隊レベルでどのように動き、二分割した縦列陣を形成するか決めないと動けませんから。

 あと第六次イゼルローン攻防戦でも前哨戦で、ラインハルトの動きを読んで包囲作戦を立案します。複数の分艦隊を時間差で機動させ高速移動する敵を包囲するという作戦を一人で作成、それも実際には投入戦力を削ったのに有効な結果を出しました。

 一方で指揮官としても突出しているのは、風貌から印象からかあまり語られません。しかし戦場での流れを読む戦術眼は作品随一で、帝国侵攻作戦でケンプ艦隊との戦いでは絶妙なタイミングで撤退、アムリッツアではビュッテンフェルト艦隊が接近戦を挑もうと短距離砲戦とワルキューレによる攻撃を瞬時に理解して、一斉射撃で壊滅に追い込みました。

 またシュタインメッツ艦隊とレンネンカンプ艦隊との連戦では中央突破のタイミングや、敵の有効射程の直前で後退してからの反転先制攻撃では、その緻密な計算力と決断力もさることながら、一見無茶な行動でも部下に不満や不平を上げさせない指導力とは素晴らしいの一言です。

 バーミリオン会戦での損耗率八割越えは、通常なら軍隊として機能・維持できる数字ではありません。それでもヤン艦隊は組織として戦闘行動を続け、帝国軍の包囲を崩さなかったのはヤンの指導力のたまものです。

 

 このように軍人としては最高峰のヤンですが、生活能力・対人能力・社会適応性が低く、軍人以外の職業では良くて三流作家という立ち位置でしょうか。

 本人は望んでいなかった惑星間国家レベルのVIP、歴史上の偉人、そして英雄。そうなったのもひとえに戦争にしか役に立たない能力という、多くの人が望んで得られないものだったのは皮肉としか言えませんが、取り合えず軍人としては間違いなく凄かったのです。

味方が苦労しているのに一人だけ手柄をたてると楽していると思われる。

 ヤン・ウェンリーは「味方が失敗する中で、少しだけ点を稼いで昇進する」と軍部内の敵対する勢力から言われました。本人は「なるほど、そういう見方もあるか。」と感心していましたが。

 確かにエル・ファシルでは艦隊戦の敗北・逃亡から民間人脱出で点を稼ぎ、第6次イゼルローン攻防戦では前哨戦で味方を引っ掻き回したラインハルトを敗退させて点を稼ぎ(攻略は失敗)、アスターテでは2個艦隊壊滅で残りの1個艦隊も敗北寸前からの引き分けで点を稼ぎ、アムリッツアでも味方が壊滅した中で7割の生存率を保って点を稼いでいます。

 同盟軍の敗北の中で彼一人が奮戦したという解釈でいいと思うのですが、どうもヤンの日頃の態度から「味方の失敗を利用して楽して昇進した」という評判も受け入れられる土壌があったようですね。

  そんな評判も第8次イゼルローン攻防戦やラグナロックでの3個艦隊との戦闘を経てバーミリオンの停戦まで僅か1個艦隊(+α )で戦い抜いたおかげで、そんな声は無くなりました。もっとも同盟軍も実質無くなりましたが。

 やっぱり苦労が顔にでないとお気楽・呑気と見られてしまうのでしょう。やるべき事はやっていても飄々として力を抜いていると「真面目にやれ」と言う方はいらっしゃいます。

 本人も「楽して勝つ」を目標としているし、彼が指揮卓に呑気に座っている(ように見える)と周囲は心理的安定を獲得するので、わざわざ見ず知らずの他人の評価のために苦労人を装うことはしません。

 でもこうして考えるとヤンの受けた戦闘前や最中、また日頃からのプレッシャーていかほどだったのでしょうか。

 1個艦隊の人命と同盟全体の期待と命運を背負って作戦をたて実行する。負ければ即破産のポーカーを延々とする緊張感はどれほどのものだったのでしょうか。

 そして他に類を見ない成果を上げながら、ライハルトからも「報われているとは思えない。」と言われるほど何も得ていない。同盟軍元帥にはなりましたが報酬は元帥年金(敵戦艦一隻単位では微々たるもの)ぐらい、地位もイゼルローン要塞司令官兼駐留艦隊司令官程度です。美人の才女と結婚しましたが、これは既に中尉時代に予約済みだったので関係ありません。

 ラインハルトはキルヒアイスの存在で暴君に、ルドルフにならずに済みました。ヤンがこの扱いでルドルフにならずに済んだのは彼の素質、彼の権力欲・支配欲の無さ、強固な自由民主主義信奉、面倒くさがり屋等々だと考えます。どの要素が欠けても銀河は二人の独裁者で血に染まったでしょうから。

暗躍してこそのルビンスキー

 アドリアンルビンスキーフェザーン自治領主という地位を利用して政略と戦略を楽しむ策謀家ですが、大き過ぎる野心とたぐいまれなる才能により銀河をかき混ぜました。

 自治領主としてフェザーンを統治し、帝国の高等弁務官や同盟の駐在弁務官との駆け引きをこなし、曲者ぞろいの部下や尊大な地球教団を統御してました。

 ただそれ故に銀河を手中におさめんとするライハルトからは明確な敵として滅ぼす対象とされました。帝国貴族のように憎悪の対象ではなく、有能だが他者に従うタイプではないとみなされたからです。

 ラグナロック作戦ではボルテックの裏切りにより、フェザーン占領をゆるします。もっとも失点はそれだけで、捕まることなく地下に潜伏、あのオーベルシュタインからの追及もかわし続けます。

 その後、地下から策謀を重ね何度かラインハルトを追い詰めますがその牙は届かず、愛人のドミニク曰く「戦ったのか、足をすくおうとしただけなのか。」判断つかぬまま脳腫瘍で死亡します。

 

 しかし終わりが今一つとはいえ、同時代の者からみれば危険度トップクラスの策略家です。

 実際にロイエンタールの反乱は若い帝国の根幹を揺るがす大事件です。単なる反乱だけでなく、ロイエンタールという新帝国の大功臣であり当代一の提督で、長期化すれば間違いなく帝国に大きな傷を残していました。

 またフェザーンの航路局のデータは最重要データであり、これの喪失は巨大帝国の経済や軍事活動を停滞させ、各所で混乱や争乱が起こる可能性は否めません。特に辺境の物流が滞れば反帝国勢力の復活にもつながります。

 この危機を防いだのがミッターマイヤーとオーベルシュタイン。相手が悪かった、むしろ手札が少ない中で、この二人とラインハルト相手に国家規模の危機を作れたのは優秀といっていいでしょう。

 

 ルビンスキーの死は物語の終盤で、ラインハルトより少しだけ早くのタイミングでした。もしルビンスキーがラインハルトより長生きする、もしくはオーベルシュタインの退場後も活動できたのなら。そんな風に思うほど個性的で魅力的な悪役でした。

赤毛の親友は前半二割で去ったのに、最後まで登場する苦労人。

 キルヒアイスは作品前半でお亡くなりになりましたが、その後も作中で名前が度々出てきます。


 同盟遠征時の謀略の一環で大義名分を手に入れるために部下を殺す(自死させる)ことになったラインハルトは、キルヒアイスならこんなことは許さないと考えます。
 後でヒルダに痛烈に指摘されてますが。

 

 帝国軍がフェザーンを占領した時に、ラインハルトはフェザーンが持つ同盟の星系図を入手します。ここで彼は独語します。
「行こうか、キルヒアイス。俺とお前の、宇宙を手に入れるために」と。
 その様子をヒルダは心配していましたが。

 

 そして同盟崩壊後にヤンが立て籠ったイゼルローンを攻略しきれないラインハルトが、夢で彼を諫めたキルヒアイスに呟きます。
「アイツは死んでまで俺に意見する……」と。
 聞いたヒルダはドン引きでしたが。

 

 ヒルダがキルヒアイスの役割を何割か担っているのは間違いないのですが、またまだ小娘と呼ばれる世代なのに結構なポジションにいて覇者(も若過ぎるのですが)のメンタルケアを担当するとか大変です。だからこその「キルヒアイスが生きていれば」なんでしょう。

 まあ他の人も「生きていれば」と何度となく思い口にし、ついでに彼の死の原因の一人であるオーベルシュタインを反感を持ったりします。
 特に提督達の中でもミッターマイヤーを筆頭に、配下になった経験があるワーレンやルッツ、直属の部下であったベルゲングリューンやビューローもそうですね。
 他にも同盟のヤンが、一度しか会ったことのないキルヒアイスを、存命していれば和平の架け橋になってくれたかもと評していたり。

 

 しかしボリス・コーネフの「いい人間は長生きできない」との感想がそのまま第二巻後半最後のそして作品最大の衝撃になるとは思いもしませんでしたね。