やられ役となった代表的な人物はアスターテ会戦の第四艦隊パストーレ中将、第六艦隊ムーア中将、生き延びたもののヤンの引き立て役となった第二艦隊パエッタ中将が有名です。二倍の戦力でラインハルトに完敗寸前まで追い詰められました。
では本当に無能かというと。
まずパストーレ中将ですが、基本は統合参謀本部の命令に従って包囲作戦を実行してます。無論自身や司令部の参謀達も作戦を支持していますが、艦隊配置は参謀本部が決めた可能性が高いです。
先手を取られてからの対応は遅い点はありますが、そもそも戦力差3対5は撤退も視野に入れる不利さです。包囲網の一翼のためできる限り対応しようとしましたが、奮わずに艦隊は敗北しました。
続いてムーア中将ですが、確かに思考の硬直はありました。しかし、敵が最初から3回戦を予定して第二艦隊を放置するなど予測は難しくです。ラインハルトの天才性によって実行された作戦ですから。また予定宙域からの進路変更はもともと三個艦隊による共同作戦のため、勝手はし難いものです。
惜しむらくは参謀のラップ少佐の進言を無視しての敵前回頭です。相手が老練なビュコック提督であったことも災いして敗北が決定しました。
最後にパエッタ中将。
アスターテ会戦ではいいところなしなので割愛。
あるとすればヤンに指揮権を移した判断です。感情では気に入らなくとも、敵の作戦行動を全て見抜いた部下に任せてから失神しました。これは理性ではヤンを評価した証です。
各司令官は一個艦隊を任されるほどの人材なので、艦隊運用や組織運営、作戦指揮ができる希少な軍人です。ただ官僚的要素や政治的要因があって出世した可能性は否定できませんが。すくなくともナンバリングされた主力の艦隊司令候補になる程度には前線勤務や艦隊指揮の経験があり、能力があったと考えられます。
では以降活躍した第13艦隊やヤン艦隊との差異はなんだったのか。
作戦指揮と戦術立案の両方が出来るヤンと艦隊運用の名人フィッシャーが手を組み、完全な役割分担で戦いに望んだことでしょう。
恐らく帝国同盟の歴史を通じても珍しい体制ではなかったかと考えます。
通常なら司令官と配下の分艦隊指揮官か、司令官、副司令官でそれぞれに分艦隊を持つ構成になると考えますが、ヤンは司令官が作戦指揮を副司令官が艦隊運用を担う構成にしました。
フィッシャーが副司令官として戦闘指揮した描写はドーリア星域の会戦で、第11艦隊の別動隊攻撃のため、分艦隊を率いた時のみです。それ以外は全て艦隊運用に専念して、配下の分艦隊に個別に指揮命令することはありませんでした。
敵との砲撃戦を繰り広げながら自由に陣形を再編することができたのもこの分担のおかげです。
敗れた提督が無能過ぎたわけではなく、敵との相対的なものであるのはもちろん、特殊な体制で勝利を続けたヤンとその艦隊が特別だったと考えます。